2008/10/26
「七北田」で発見 その4
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。仙台市泉区(昔の地名では「七北田」界隈?)を中心に自然素材リフォームをお勧めする(株)仙台エアサイクル住建の柏倉勉です。
※七北田情報は「はっけん七北田」を参考にしております。
「はっけん七北田」<奥州街道宿駅のなごり>より~
6.横山道 奥州街道の脇道として領主伊達一門の殿様が、仙台出府の際に利用された。七北田横山から野山(将監)の山に入り現泉パークタウンを越して石倉にでた。ここから平坦地を緩やかに上り、再び山中に入る。抜けた場所が堂所で堂庭山の背後の急坂の峠を越えて宮床へと通じていた。延々二里余(8km余)あった。この道の保全は明治になっても習慣的につづけられていた。作業にあたった方は沿線の宮床、堂所、石倉、大沢、七北田等の集落であった。山道なので大変な作業であった。将監13丁目の裏手が昨年から造成され横山道が残っていたが今は造成により面影はない。
これって、俗に「山道」って言って自転車で通っていた所かな??? ちなみに会社の作業場は「石倉」にあります。。。
7.大黒岩 大沢新田にある。岩の上は明石台住宅地で、岩も当時の面影は無い。地元の方々からのお話によれば宮城県沖地震で大きく崩れてしまったそうです。安永風土記にも記載されている。昔の旅人が往来の際にこの大黒岩を見て七北田宿に近いことを知ったと伝わっている。
私は小学1~4年までバスで将監小に通学していました。その際に目にしたのがたぶんこの「大黒岩」でしょう。宮城県沖地震で崩れたという記憶があまりないのですが、当時は川口博探検隊が流行っていて、「お、あの岩の洞窟に原人がいるぞ!」とか言っていたものです。。。懐かしいなぁ~。
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2008/10/24
「七北田」で発見 その2
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。仙台市泉区(昔の地名では「七北田」界隈?)を中心に自然素材リフォームをお勧めする(株)仙台エアサイクル住建の柏倉勉です。
※七北田情報は「はっけん七北田」を参考にしております。
「はっけん七北田」《奥州街道(七北田・市名坂)の始まり》より~
1615年、伊達政宗(49)が道路の取り付けをおこなった。芭蕉の辻から通町の突き当たりから右に折れ、堤を築いて堤町を通り北根を経る七北田への新道を拓いた。 市名坂は万治3年(1660)に七北田新町として取り立てられた。
七北田新町・・・地下鉄が開通するまでは、泉ヶ丘から仙台に行く交通手段は車かバスしかありませんでした。子供ですから当然バスになるんですけど、七北田が混むんですよね~・・・。七北田、七北田新町、七北田学校前、七北田橋・・・なかなか七北田が通過できなくてね~、、、そういう歴史だったのか・・・。
政宗の死後に参勤交代が行われることが決まり、それに伴う街道筋の商売が増えた。宿場には助郷(すけごう)制度が科せられた。 宿場としての賑わいは仙台に近いため華やかではなかった。しかし、高級武士の泊まれる外人屋(本陣に匹敵)もあり庶民の利用する旅籠や木賃宿もあり便が計られていた。
そうか~、華やかではなかったんですね。逆に言えば、ゆったりとくつろげる場所だったんでしょうね。ますます、「七北田」の地・泉に自然素材でくつろげる環境をつくりたいな、と思ったのでした。
まだ七北田話が続きます。。。
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2008/10/23
「七北田」で発見!その1
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。仙台市泉区(昔の地名では「七北田」界隈?)を中心に自然素材リフォームをお勧めする(株)仙台エアサイクル住建の柏倉勉です。
※七北田情報は「はっけん七北田」を参考にしております。
私が小学生~現在まで暮らす泉区は、江戸時代奥州街道の宿場町として、明治~昭和30年代にかけて、農村から都市化の波を受け次第に変貌してきたそうです。
昭和62年には、仙台市地下鉄富沢~八乙女間が開通し、(こ、これは私の予備高時代・・・)平成4年には、泉中央まで延長され泉中央駅が新たに新設されました。(この時は社会人として他県にいたため、変貌ぶりにビックリしたものです。。)
「はっけん七北田」総説《要衡の地》より~
七北田は宮城県のほぼ中央部に位置していて南北約6.8㎞、東西8.8㎞の広さを持つ。
北は黒川郡富谷町・大和町、西から南にかけては宮城郡旧宮城町、南から東にかけては旧仙台市と接してる。
うちの会社は泉ヶ丘という場所で、黒川郡富谷町と接しています。私が泉ヶ丘に越してきた当初は「泉市七北田字大沢大ヶ沢」といいました。昔、大沢峠というのがあり、この辺は雪の降り方もちょっと違うようです。
ここは蝦夷と呼ばれる土着人と大和朝廷との接点でもあったようです。大和朝廷時代には多賀城を中心として東北の制覇を目論見多くの兵士がこの地を通過していた。七北田村が正史に初めて現れるのは奈良時代末に近い宝亀11年(780)12月の「征東便奏言」で当時の旧名が記録されている。
南北朝時代に天下分け目の戦乱があり七北田村は戦場となる。この戦乱も収まった頃に足利尊氏に下向を命ぜられた斯波家兼(後に大崎氏)がこの地を通ったおりに「七北田村」と正式に名付けられたという。その後、伊達家が山形より宮城に進出してきて、伊達政宗時代にこの地を手中に治めた。特に南北の交通の便を考え実施されたのが旧国道(奥州街道)である。
か、かなり古い歴史があるんですね~。。。
そして旧国道に関しても幼少の頃、けっこう思い出があるんですよね~。
さらに七北田話が続きます。。。
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2008/10/22
セミナー参加と「七北田」
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。仙台市泉区(昔の地名では「七北田」界隈?)を中心に自然素材リフォームをお勧めする(株)仙台エアサイクル住建の柏倉勉です。
昨日、あるセミナーに参加したときのことです。
「泉ってどんな特徴があるんですか?」
「泉ですかぁ?う~ん、山や田んぼを宅地にして広がった所ですからなにがあるかなぁ・・・」
「地域の人みんなが知っている伝統とか、名所とか・・・」
「う~ん。。。あ、そういえば『七北田』っていう所が宿場町でしたよ。泉の中心部が七北田。今は『泉中央』という地名になっているところも多いですけど。昔の地名には『七北田』ってついているところが多いかな。」
そんなことを言っていたら、隣でパソコンを開き調べてくれた。
すると、、、「はっけん七北田」というページが出てきた。
それを見ると、七北田の歴史が続々と・・・
「いいじゃないですか~!」
帰宅してからじっくり見てみると、幼少時期から今日まで、思い入れがあったり関わりを持っていたところが続々と・・・
あ~、七北田・・・ この地に『子供達が元気で健康にくらせる環境を整えてあげたい!』『七北田の宿場町としての安らぎを家づくりでサポートしたい!』という気持ちが沸々と湧いてきたのでありました。
しばらく七北田話が続くと思います。。。
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